【振り返り41】小学三年生 通級学級での日々(友達とトラブル?)
2019/11/20
今日はお立ち寄り下さって、ご報告ありがとうございました。
通級の友達と遊んだりしているうちに、すっかり立ち直って元のこまぁ君に戻ったようで楽しそうに過ごしていました。良かったです。
本の読み聞かせで落語の本を読んだ時、3年生のクラスで落語の紹介文の「帯」を書いたよと言っていました。興味、関心が持てていいですね。
大なわ8の字は最後の2回(10回位跳んだうち)跳べました。これを契機に回数が増えるといいです。帰り方(抜け方)の理解はまだです。
お正月遊びで「ビー玉」をしました。狙いを定めて2つのビー玉に当たるようにするのは難しいようでした。(1月18日)
【今日の小集団学習 コミュニケーション】
- あいさつ、うた
- リズム遊び(ピコピコテレパシー)
- 本(落語「初天神」)
- ハッスルタイム(雪ダルマを探せ)
【今日の小集団学習 運動・動作】
- 体操
- 大なわ
- お正月遊び(ビー玉)
- 中あて
(ダメオヤジより)
何があったんだったけなー。今、妻に聞いたところで、妻も思い出せないだろうな。
それくらい小さなトラブル?はちょこちょこありました。
私もそんなことも含めて、普通級でコミュニケーション能力を高めてもらいたいって気持ちで普通級を選択したのですが、私もまだまだです。そうは決めても息子のことが気になって仕方ない。笑
当時は自営が本業だったので、下校時刻になると仕事を抜け出して、遠目から息子の様子をチェックしたりしたもんです。
からかわれたことも多数。まだ低学年のうちは笑って過ごせた息子も学年があがれば感情面だってちゃんと成長しますから、悔しい思いや怒りの感情が出たりもします。
特に支援学級に転籍してからは、新しい学校の下級生にからかわれたりして、悔しさを堪えて家に帰ってきて、そこで大泣き・・・なんてことも何回かありました。
支援級ってせいで嫌な思いをたくさんしてきたのも事実。
実際、中学進学の際、「支援級に決めた」と言った時は、嫌だと泣きながら怒ってました。
高校を決める際も普通と言われる高校が良いと言ったり。
ですので、近所の人などには本人は高校名を言うことは一切ありませんでした。
息子の中では「支援」という言葉は嫌でたまらないんだろうな。
就職活動の際、もう支援と想像できる企業は嫌だと。だから特例子会社には行きたくない。会社名を聞いただけで特例子会社と分かるような名前が多いのも事実ですからね。
正直なところ、高校まではある意味、私が誘導してきました。
ただ、会社に関しては息子の気持ちを優先しようと。
で、現在です。
息子の理想通り、会社名、業務内容からして、息子が障害者と分かってる顧客はほぼいないでしょう。(せいぜい、計算が苦手な社員さんだな・・・と、思う程度でしょう。)
会社の上司と飲みに行っても、上司が言わなければお店の女の子たちも分からないでしょう。笑
ただ、そのため、特例子会社などような細かなフォローはほぼ0です。息子の障害に関しての知識もほぼ無いに等しいでしょう。
そのため、息子が会社の不満を言える身近な存在は私だけ。苦笑
幸い、私も息子の会社や仕事内容などを結構分かったりしているので、不満を言いやすいってのもありますから、息子も言いやすい。
それを聞くのも、実は嫌ではない。笑
何と言いますか、本人なりに踏ん張って頑張ってるなという思いを感じられるので。
そのせいか、最近は私は外で酒を飲むより家で酒を飲むのが好きになってしまった。
酒を飲みながら、息子の今日一日の話しを聞けるのが幸せに感じたり。
ただ、まだまだ教えないといけないことはたくさんあります。いっぱい伝えたところで忘れちゃうだろうから、どうやって残そうか考えています。(ま、考えた結果、紙に書いて渡す・・・くらいでしょうが。笑)