【振り返り04】小学三年生 通級学級での日々(リーダー的存在になれるか)
2019/09/29
今日は遊びに夢中になっていたとのことで、通級教室には遅れてきました。
一年生が今日から初参加したので、改めて自己紹介や名刺交換ゲームを行いました。更にリーダー的存在として頑張ってもらいたいと思います。
運動でも見本や先頭を走るなど、頑張ってくれました。特にケンパで片足立ちのまま、お手玉をたくさん拾いあげることができ、皆の賞賛を得ました。
【今日の小集団学習 コミュニケーション】
- 挨拶
- 歌
- 自己紹介スピーチ
- 自己紹介ゲーム
【今日の小集団学習 運動・動作】
- ラジオ体操
- どうぶつ歩き
- ケンパ・お手玉拾い
- 王様ジャンケン
(ダメオヤジより)
保育園の頃、ケンケンパ・・・ができないというお話しを聞き、その晩、家の床に私がガムテープで〇をいくつも作り、二人で練習したのを思い出しましたよ。
知的な障害の場合、同時に二つ以上の指示って難しいんだよね。「〇印のところを片足で跳ねながら進み、二つの〇があるところでは両足を〇に合わせて着く・・・。」
こうやって文字で書くと凄い面倒くさそーって思うよね?笑
興味がないと最初の数文字読んだだけで後の文字は無視・・・なんてこともあるでしょう。爆
私は専門家じゃないからよく分からないが、「〇印」「片足」「跳ねる」「進む」「二つの〇」「両足」・・・たくさんのキーワードが出てきます。これが結局、混乱の原因なのかもしれないよね。
普段、片足でピョンピョンと跳ねながら歩くことはそうないでしょう。笑
それなのに「〇印の中を片足で進む」「〇印が二つ並んでるところでは、両足をつける」・・・この二つでも混乱する。
同じことは縄跳びでも言えます。「縄を回す」「回した縄が足元に来たらジャンプする」
「回す」「ジャンプする」ってことでも混乱する。だから結果として縄を回して足に当たってから(既に縄は止まってる)ジャンプする。。。って感じ。
更にはプールでもそうです。例えばクロール。「両腕で水をかく」「脚をバタバタする」
これも難しい。腕の使い方を指摘されると、それに集中して、脚が止まる。脚を指摘されると腕がおろそかになる。
見てる親としたらイライラすることもあるでしょう。笑(私も当時はそうだった。分かっててもイライラしてた。笑)
じゃ、ずっと出来ないままなのかというとそんなことない。
何かのタイミングで本人がコツを覚えると出来るようになる。(実はこれが難しい問題だったりするのね。苦笑)
所謂、数稽古。数さえこなせば、出来るようになるはず!って思うんです。(これは運動面だけじゃなく、勉強面でも。)
だから親も必死に教えるのよね。「子どもは泣いてるが、もうちょっとやらせればこの子は出来るんだ!」って思う。
でね、やっぱ出来ちゃうことも多いのよ。笑
上に書いた例は息子のこと。ケンケンパも縄跳びも水泳もだいぶできるようになったのは事実。(ただ、それをずっと覚えていられるかは別の問題。苦笑)
だからどんどん親は子供に数稽古をさせる。できない、辛いって本人が訴えても、親も子も泣きながらでもやる。(経験談。汗)
当時の親と子のストレスは相当なもんだったと思う。嫁さんも本当によくやってくれたと思うよ。(感謝でしかない。汗)
一年生の入学時には自分の名前を書くという練習を嫁も息子も泣きながらやってたのを思い出したよ。汗
そんな息子は今では仕事でクレーム客の対応を一人でしたり、新規の顧客を得るために営業したりしている。
これって、当時は本当に想像もしてなかったこと。(障害者雇用として働いてるが、現場は「そんなの関係ねー!」の社会)
だからね、今、お子さんが軽度の知的障害と診断されたとしても、「この世の終わり」的な落ち方はしなくて良いんじゃないかなと思うの。
生活する中で、得意不得意を理解し、好き嫌いも理解する。
興味がある分野は例え障害があっても、本人なりにどんどん吸収して自信に繋がります。
息子が仕事から帰ってきた時、「オヤジさんも疲れてんだろう、これでも飲めよ」ってビールを買ってきてくれることもある今。
当時はそんなことを想像したこともないけど、「ま、何とかなるもんだな」と思います。
だからね、まずはお子さんの障害を親として「受容」しましょうとお伝えしたいです。
だいたいがさ、健常と言われてる子たちが真っ当な生き方を全員がしてるかっていうとそんなことないじゃん?
どこでどう伸びるかは誰にも分からないんだから、「まずは現実を受け入れて」、「この子にあった育て方」をしましょ。
ま、もちろん、親も人間ですからイライラ、愚痴などでてくるでしょう。(私も相当でましたから。笑)
そんな時は私にメールでも送って下さい。ひとまず全てのことを私は受け止めますので!笑(話しを聞くだけか。ブハハ)